2012年5月8日火曜日

連休からの帰還おめでとう


初めましての方も竹馬の友もこんにちは! エノキダです!
女友達に恋愛相談をしたところ、「恵子ちゃん思い上がってない?」と言われ、
男友達に恋愛相談をしたところ、「榎田さん、○○君のこと殺せそうやな」と言われた!
次どのタイミングで連絡とろっかなァ~!

文学フリマはねー、とても励みになりました。
網谷くんも書いていたけど、「こんなにたくさんのひとが勝手に文章書いて形にしてるだなんて・・・あっぱれだぜ東京」とガツーンと打ちのめされたのがひとつ。
外海を知ることはとても大切ね。
「ほをずりってどんな本なの?」という質問に向き合う機会をいただきました。

それから、買おうかどうか迷ってらっしゃるお客さんに「わたしはねー、この勃起短歌が好きよ!」「わたしはこのページが好きよ!」と何度か話しかけました。
そうしたら、わたしはどんどんそのページが好きになっていくのね、不思議ね不思議ね。好きなものを好きって言ったら誰かに聞いてもらえるって環境ってサイコーね。

あとはねー、イベントがなければ手に取ることはなかっただろうジンに書かれた文章を読んでいたら、性描写っていきなり出てくるとこんなにびっくりするもんなんやなと、齢24にしてやっと気づきました!
「殴るときは気持ちこめなきゃ」とは、いつか映画で学んだセリフです。
精進しま~っす!

そうそう、報告が遅れましたけど、『ほをずり』4・5月合併号、毎度おなじみ
中野ブロードウェイ3F奥・タコシェさんに置いてもらっていまーす!
バックナンバーも随時補充していますので、合わせてどうぞ!
他に「ここに置いてもらったら?」というアドバイスがあればいつでもくださいプリーズ。

うふふ、わたしってば皆さまに励ましていただき、お世話になりっぱなしね。
いつかきちんと返せるといいのですけど。

2012年5月6日日曜日

文学フリマ!

今日(5/6)に行われた文学フリマに「文芸誌『ほをずり』」として参加してきました!
4・5月合併号や旧作を合わせて77部、みなさまにお買い上げ頂きました。ありがとうございます。
「ほをずりす」の人気っぷりと、奇才BJ氏の「勃起短歌」の集客力に驚きました笑

それにしても、文フリ初参戦だったわけですが、これほど熱気にあふれていたとは! 
むちゃくちゃ沢山の人が、それぞれ自分たちの思う「文学」をぶつけたものを頒布されていて、少々感動いたしました。次回も是非参加したいと思いました。

ご来店ありがとうございました。 
ほをずりは ひとりでは できない!!!

2012年5月2日水曜日

4・5月合併号!

はっふーい!
「ほをずり」4・5月合併号が刷り上がってきました!
5/6文学フリーマッケットでは、D-53ブースでお待ちしておりますので是非お越しください。
一部200円で、バックナンバーともども販売しています。


BJ氏の勃起短歌は相変わらずいろんなモノが爆発しています。短歌を一種引用すれば・・・
ふるさとの 名前を売った 春の午後 東京の隅で 勃起している
少し前に、財政悪化の影響で市のネーミングライツを売るというニュースがありました。そこはかとない寂寞が勃起に込められているようでもあります。
今回は、勃起短歌の解説付きということで、作者がその世界観を露出していて興味深いです。
「勃起とはかつて憧れだった・・・」 ほんまかいな

榎田氏エッセイは今回は小説仕立て、彼女曰く「女性に気に入ってもらえればそれでよし」とのことです。確かに、女性の共感は得られそうです。
僕は「コートでダッシュ」に痺れました。「俺さ、九十九パーセント間に合う、って思ってるで」という言葉が出てくるのですが、その余裕感にグッと来ます。
「弁当箱と化粧落とし」は、社会人の主人公と大学院生の彼氏の別れ話の顛末を描いた小説。「オンとオフの感覚」がある社会人とそれがない大学院生、という構図が、絶妙に別れ話と結びつき、結びつくと同時にズレを含んで重ねられます。

僕の小説は、反原発デモの警備をする警察官を描いたものです。
僕には基本的に、あんな平和な日本のデモに警察官がわらわらといる意味が分からないですし、路上の片側しかデモに解放されていないのにもイライラします。
しかし、小説の動機はもうちょっと複雑です。デモは肯定したいけれども、どこかそういう政治的な意識の高い人々から疎外されて、かつ権力の側に属してしまった人間を描きたくて、この小説を書きました。

也田氏は、不条理的な小説「貝に砂」と、創作「響きで決めるカタカナ語辞典」の二本立てです。
「明らかに、僕が食べる貝には砂が入っていることが多い」という書き出しで始まるこの小説。なんだかちっぽけなことに思えるが当人にすれば結構いちいち苛立たしい偶然が、驚くような結末にいたります。「響きで決めるカタカナ語辞典」は、也田氏が時折twitterで流しているものですが、言葉遊びのセンスで勝負です。例えばこういうもの。
【ザッケローニ】
ズッキーニよりひとまわり大きい野菜。表面は黒く中は白い。味は大根に近い。中央の鍋料理に半円状に着られた状態で入っていることが多い。

松山氏の詩は、タイトルからなにか恐ろしいものを感じる「菩薩のごとく」にびっくりします。並びが「理想」、「キス」ときて「菩薩のごとく」! 
「キス」からちょっと引用してみましょう。「キス」という語感が繰り返されてリズムが良いです。
青い痣の残る手の甲にキス
生意気に尖る唇にキス
草の匂いのする黒髪にキス
言葉の代わりに愛を吹きこんで
弾ける瞳から好奇心は蝶々のように
花から花へとせわしなく舞う
見渡す限りの可能性に羨望のキス
いつか芽吹く夢には 願いを重ねてしまうだろう


みなさんに読んでいただくことを、一同楽しみに待っています!

2012年4月26日木曜日

也田的映画珍言集1

也田貴彦です。


さて今回は、
映画史には別に燦然と輝いていないけれども
僕の心にはぐっときている
そんな名セリフ、珍言、を紹介したいと思います。




今回の映画…
「ティファニーで朝食を」(1961)

ご存知、ヘプバーンの代表作。原作はカポーティですね。
自由気ままに生きる女性と、作家の青年が織りなす
ラブロマンスです。


そのなかで、
今回ご紹介する珍言は、

ヘプバーン演じるホリーと
恋人であるポールが痴話喧嘩するシーンで、
ホリーが相手に向かって吐き捨てた
素敵なセリフです。










「普通ならあのドアまで4秒かかるけど、2秒で出て行って!」










素晴らしいですね。

「普通ならあのドアまで4秒かかるけど」とわざわざ論理的に補足説明してしまうところに
彼女のなみなみならぬ憎悪が乗っかっています。

早く出て行ってほしい旨を、
怒りながらも分かりやすく丁寧に伝えようという
その静かなる執着心。
ぞくぞくしますね。



・・・・


「文藝誌ほをずり」4・5月合併号、まもなく刷り上がります。
ご興味のある方はいつでも
howowzuri@gmail.comにメールください。




2012年4月17日火曜日

文学フリマ

也田貴彦です。
4・5月合併号の原稿をいま書き上げました!

今回は
小説と、辞典のようなものと
そしてありがたいことに
あとがき、を書かせてもらっています。

大阪は本町のスターバックスで
店員さんの目を気にしながら
何時間も居座り続けて
Macをかたかたし続けた甲斐あって
なかなかおもしろいものができたと思っています。
明日からは心斎橋のスターバックスで
店員さんの目を気にしようと思います。



今回はみんな特に気合い入っていて
いつもに増しておもしろい雑誌になっていると思います。

なぜ特に気合いが入っているかという話ですが…

この「文藝誌ほをずり」が
5月6日に開催される文学フリマに参加することになりました!
D-53番のブースにて「ほをずり」を販売します。

ものすごい数の文学系の雑誌がフリーマーケットで
売られる楽しいイベントですので
ぜひおこしください!


文学フリマ
5月6日(日)11:00~16:00
東京流通センター第2展示場

2012年3月27日火曜日

具体的な勃起短歌について①

こんばんは。BJです。
私の短歌
忘れ物 忘れた夏に イルカごと 溺れた彼氏が 勃起している 
という短歌について書きます。

それはともかく、過去というのはカノープスより遠い銀河です。
そこへ辿り着く手段があったとしても、
それを生み出すのは文明、科学の力ではないでしょう。
タイムマシーンというものが出来て、西暦1000年前に行けたとしても、
私という現在はずっと現在のまま、周囲は過去なんでしょうけれど、
それでは過去へ行ったということになりません。

それでも私たちは何かを思い出したりするのですから、確かに過去というものはあったようで、
過去はないのではなく、ただ遠いということになります。
そういう意味では、私たちはカノープスより遠くからこちらへと、常に移動し続けているようなものです。
思い出すというのはその旅路を地図に辿ることと同じです。
とはいえ、思い出すということ、それにも少なくとも二種類はあるように思います。
つまり、自ら過去を描き出す、思い出す、と、ふとしたきっかけである瞬間がよみがえる、思い出すです。
先の思い出すは、マスターベーションです。
自分の、自分による、自分のための1人称物語を読んでいる状況です。
自分という人称の示される範囲内にある飛び石を踏んでいます。
remember の主語がIである状況です。re-と参照される辞典が自分であるわけです。
歩いたときに気付いて印を付けた場所を辿る作業です。

後の思い出すは、痴漢です。
歩いたときに気付きながらも、しかし印を付けなかった場所を、
誰かか何かに教えられる思い出す、です。

自分で自分を痴漢するためには、困難な病気が必要です。
その病名を私は知りませんが、症候としては、自分が自分であることを忘れるというものです。
その病気に罹った場合は、前者の思い出すはもう有得ないので、
つまるところ前者でありながら後者であることは不可能です。
動物たち、鏡に映る自分を敵と認識する動物たちは、みんなこの病気の患者といえます。

しかし、後者という痴漢体験もまた、すぐさま前者へと移り変わります。
ラジオかコンビニで流れていた曲で唐突に郷愁の雨に打たれても、
帰宅しyoutubeにその曲を求めてしまうや否や、すぐに郷愁のための郷愁、
自動車教習所の再履修に成り果てます。成り果てます。

上記の短歌は、忘れ物を忘れた、という間抜けの報告から始まります。
何を忘れたか忘れた、という状況は、その忘れ物が大して重要でなかったことを示しています。
忘れ物が車の鍵やプレゼント、バイアグラ等であれば、それが必要なタイミングで思い出されることは
確約されています。追憶の時限爆弾で爆死すること請け合いです。
したがって、ここで忘れられたものは忘れられても良かったものだとわかります。
必要という言葉はいつも曖昧なニュアンスで、みそラーメンのような後味ですが、
この忘れ物は明石焼きで、みそラーメンとはきっぱり違います。

そしてそれは夏です。
最近ようやく春めいてまいりましたが、季節はいつも不意にいます。
殊更夏、確かに手応えという点では冬と双璧ですが、夏の夏らしい夏っぽさといえばもう夏です。



ここから次回。

2012年3月17日土曜日

おっぱい褒めろよ~って話です

こんにちはー、エノキダです。
ひと雨ごとに寒さもゆるみ、春の気配がちらほらと、と言う割りに寒いな! といったところでしょうか。
まだまだ風邪をひきやすい時期です。
どうぞお気をつけて。

さて、3月号掲載分ぐらいから、エッセイを書くのが楽しくなりました。
〆切を設けて、コンスタントに文章を書き続けてみることに慣れたのでしょう。
肩の力が抜けたといいますか、そもそも誰かへの嫌味や当てつけを燃料にせずとも書けるようになったこともあるのでしょうが、自分で読み直して「あちゃー、やなやつー」と思うポイントが減りました。

そんな3月号を読んでくれた友人(女)から今朝、 
「わたし、けいちゃんのおっぱいやわらかくて大好きじゃー」 
というパーフェクトな感想?をもらって、 わたしは「『ほをずり』つくっててよかったーー」と思いました。

別に下ネタとか何でもなく、おっぱいって誰かに求められてなんぼだよね、とわたしは常々思っています。
だって、こんな脂肪の塊が上半身についていたところで自分の役には立たないじゃないですか。あ、役に立たないんですよ男性諸君。
第一にきっと赤ちゃんのためでしょ。
それから第二に、まあ、そういう営みに役立つというか、まあいいじゃないですか。 そりゃやわらかいし触っておもしろいもんだと思いますよ。
あはは、だけどやっぱり自分ひとりのための部位ではないでしょう?

おっぱいって、ただ持ってるだけじゃ役目を果たせないし、ひとりぼっちでいたんじゃ、おっぱいの価値って見出せないな、ということをよく思います。
でも、見出したいでしょ、自分の価値とかおっぱいの価値とか。
わたしのからだにおっぱいがついている限り、わたしの価値をひとりで説明し切ることはできないね、する気もないけどね、ふふふ、そんな3月号、ぜひ読んでください。
あと、他のメンバーもおもしろいこといろいろ書いてました3月号。 みんなの価値も見出してください。