2012年5月27日日曜日

勃起短歌に内在する二つの対立について①

こんにちは。
勃起短歌師範代、BJです。勃起短歌について書きます。

勃起短歌は、「勃起している」を結句とする優れた短歌を指すのですが、
これまでに、2人の女性から、2種類の女性的勃起短歌が提出されたことがあります。
その内の1人は「股は濡れない」を結句としているもので、
もう1人は「股濡れている」を結句としているものでした。

この対立は非常に感興をそそるものであります。
そもそも、私としては、女性でも勃起する部分がある以上、
勃起短歌は男性短歌ではないと思っておりますし、もしそうであるという印象があるならば、
私が男根中心主義者なのではなく、勃起という概念が男根中心主義に陥っているせいです。

また、勃起を男性器の勃起と捉えるとしても、
女性の側から見た勃起短歌は成立しますし、
例えば私の
童貞の くせに花など 買ってきて チーターの如く 勃起している
という優れた短歌は、童貞に恋された女性の、童貞をいじらしいと思う気持ちそのものです。
花を買うという行為は非常にJUNICHI ISHIDISMで、一昔前のプレイボーイのようで、
定番過ぎて、逆に童貞には思いつかなそうで、それをしてくれて嬉しくて、
でもやっぱりベッドインしたらすぐにゴールしちゃいそうでチーターみたいなのです。

とはいいつつも、やはり、勃起主は男性である以上、語る主体が女性であっても、
勃起短歌が男性短歌的である点は否定しにくいです。

そんなわけで、男性器の勃起に相当する女性の肉体的変異について提出されたのが、
「股濡れている」「股は濡れない」の2つでありますが、
この2つはいうまでもなく、きっぱり逆のことを言っています。
平仮名にして、ダブルミーニングを読み取っても、まったく逆です。
またぬれている、またはぬれない、つまりand wet againおよび、or don't wet
andとorの短歌にもたらす影響はさておき、
前者はどうみても雨季、スコールの季節、後者は乾季、砂漠の狩人ですね。きっぱり逆です。

そういうわけで、ここに二重の対立が生じました。
勃起している⇔(股濡れている/股は濡れない)

さて、こうして図式化してみると、何か欠如を感じませんか?
そうです、本来は
(勃起している/勃起していない)⇔(股濡れている/股は濡れない)
とあるべきなのです。

勃起していない男性器はどこにいったのでしょうか。
実は、彼の失踪にこそ、勃起短歌の秘密を解く一つ目の鍵があります。

ヒントを差し上げますと、
勃起した男性器と、勃起していない男性器では、
どちらがより破廉恥な場面に登場するか、ということです。

そんなもの、勃起した男性器に決まっているじゃないか、という人は、
もう一度濡れた股から出直してください。
勃起していない男性器は、いわば正常時であるわけですが、
正常であることをわざわざ正常であると言わねばならない時、
それはつまり非常時というわけです。
最近の発電所問題についても同様ですね。

勃起していない、を結句とするならば、先の5 7 5 7において、
勃起していなければいけない場面、つまり破廉恥な場面を描かねばなりません。
破廉恥な場面で始まり、それでいて「勃起していない」からこそ、短歌に興趣というものも
生まれるわけです。
ただその場合、勃起というのも破廉恥なワードですから、
「5 7 5 7 勃起していない」の
         ↑ ここに、それほど大きな分断が成せないわけです。
勃起短歌における分断の重要性は、以前書いたので書きません。

私は勃起短歌を人間についての短歌としたいと思っているので、破廉恥なことなど言いたくありません。
破廉恥はもちろん人間の一部ですが、一部は一部です。

こうして彼、勃起していない男性器の居場所が墓場であったことが発覚したところで、
もう1つの対立に話を進めます。

股濡れているか、股は濡れない、か。

これも非常に大きな問題です。というのも、濡れない股もまた股であり、
いわゆるレイプ問題というのもそこに集約されるからです。
攻撃に武器は必須ですが、防御に準備は問われません。
したがって、勃起している、という言葉に付随する、不随意運動である、という点においては、
股濡れている、も、股は濡れない、も同様です。

ここから次回

0 件のコメント:

コメントを投稿