2014年7月17日木曜日

ニューヨーク滞在記①

 CVS pharmacyというスーパーで買い物をすると、ビニル袋に「リサイクルのため店に返却してください」と書いてあった。翌日の夜、買い物のついでに持って行くことにした。

 観光用の馬車が道路を悠然と通っていくのを横目に、57丁目を嫁とともにホテルからまっすぐ東へ歩く。3ブロック分ほど進んだところにスーパーはあるのだが、その近くの交差点まで来たとき、酔っぱらいらしきおっさんが怒声を上げているのに出くわした。信号待ちの乗用車に向かってずかずかと歩み寄り、車道に立って運転手にすごい勢いで罵声を浴びせかけている。やたらにFuckin’Fuckin’と連呼していた。映画でしか聞いたことのない台詞だったので、実生活でも本当に言うもんなんだなと少々感心した。近くの側溝からは、関係ないが何やら白い煙が上がっている。この煙はニューヨークでは至る所で見られる現象で、あとで聞いた話では地下の空調設備による湯気かなにかだそうだ。しかしこのときはまだ俺自身そんなことは知らなかったし、この煙も初めて目にしたので、地下街で火事でも起こっているのではないかと一瞬不安になった。おっさんの怒号とあいまって、そのゆらゆらと立ち上る煙がなんだか怖かった。

 おっさんを避けるようにスーパーに入り、買い物を済ませてから、嫁が持ってきたビニル袋をレジのところにいた黒人の男性店員に手渡す。クリス・ハートに似た恰幅のいいその店員は、「Oh,recycle…」と感動のため息を漏らしながら、少年のように輝く瞳で受け取ってくれた。ハグでもしてきかねない雰囲気だった。わざわざ持ってくる人など稀なのだろう。ビニル袋を持っていっただけでそんなに喜んでくれるとは思わなかった。

 このスーパーの出入り口の扉は押して開けるタイプなのだが、少しだけ押すとあとは自動で開き、自動で閉まる。しかしその自動で開くスピードが遅いし、閉まるのもゆっくりなので逆に扉にぶつかったり挟まれそうになったりして危ない。便利なのか不便なのか分からんなと言って嫁と笑い合う。

 店から出たとき、Fuckin’を叫んでいたおっさんと車はもういなくなっていた。側溝からの煙は相変わらず白く噴出しており、ネオンと車のライトのせいで闇とは言いがたい57丁目の夜のなかで揺らめいている。あの煙気持ち悪いな、なんか有害なやつなんかなと、今買ったばかりのペットボトルの水を入れたビニル袋を右手から左手へ持ち替えながら、嫁が言う。あんなもん、害なんかあるかいな、と俺は答えた。

也田貴彦

2014年5月11日日曜日

毛虫とバッハおばさん

54日。

ものすごいハイキング日和なので、気象を司る神への従順を示すような気分でハイキングに行くことにする。環状線で大阪駅まで、乗り換えて三宮、そこから地下鉄で新神戸へ。布引の滝とハーブ園へ行くことに。

新神戸駅からすぐにハイキングコースだが、コース案内の看板に毛虫が何匹も這っていることに気づく。Tシャツの肩に毛虫を這わせている青年もいる。これは大変な試練が始まるのではと予感しながらハイキングコースに入ると、案の定、木々の至る所から毛虫が垂れ下がっている。5月は毛虫が多いのだと同行の妻が教えてくれる。俺は虫が苦手だ。見上げる枝葉からぶら下がる毛虫たちを避けるためにかがんだりのけぞったりしながら歩く。敵の館に張り巡らされた赤外線のレーザーを避けながら進むスパイと寸毫の違いもない。しばらく歩いて布引の滝に着く。思っていた以上に美しい一筋の瀑布で、都会では絶対に味わえない清涼感、それを打ち消す石段の毛虫の群れ。

そこからさらに上っていく。山肌を飾る見事な色彩の木々を眺めながら、一口に緑と言っても自然界にはいろいろの緑があるもんやなと言うと、毛虫にもいろんな色の毛虫がいるねえと妻がこぼす。途中、錆びた狭い門を通過するときが最大の難所だった。両側の柱に毛虫がうじゃうじゃ這っていて、南大門の金剛力士像の間を通過するとき以上の威圧感があった。もうこんな肝試しは二度と御免こうむりたい。今日で完全に山派から海派になった。ケアンズでシュノーケリングをしたときの、奇麗で可愛らしい魚たち。人間に媚びるようなあの姿勢を、毛虫たちにも学んでもらいたい。

命からがらようやく山頂のハーブ園にたどり着く。まずは昼飯。ごったがえすレストランの行列、しんがりでしばらく待っていたがいっこうに列が進まないので、人を押しのけてレジ係のおっちゃんに聞いたところ、1時間以上待たなければならない旨を愛想悪くぼそっと宣告された。それならもっと大きな声で呼びかけて人の整理をせんと。店の仕切り能力のなさに憤慨しながら、外の屋台でハーブソーセージとハーブチキンを買い、ベンチで食べる。これがすごく美味く、日向ぼっこにもなって結果オーライ。5月の日光に熱せられた妻の頭の上にハンカチをかぶせ押さえつけながら。蜂蜜入りソフトクリームも。

近くには「匂いの資料館」なる施設があって、没薬や乳香、白檀に麝香といった、小説でよく出てくるけれども名前しか知らなかった香料を嗅ぐことができて勉強になった。ハーブの好きな匂いと嫌いな匂いで占う性格診断みたいなものもあったが、俺も妻も、何度も匂ってるうちにどれが好きでどれが嫌いなのか分からなくなった。土産店で母の日プレゼント用の蜂蜜を買う。小道にはラベンダーやチャービルなどなどハーブがたくさん植えられていて、レモングラスの葉っぱを指で揉むと本当にレモンの匂いがするという当たり前のことに少々感動する。足湯に入ろうとしたが狭くてあまり清潔そうに見えず残念。箱根彫刻の森で入った足湯は広くて開放的でアートが眺められたのでそっちに軍配が上がる。

下山はロープウェイ。神戸は本当に山麓からすぐに都会が広がり、さらにほんのすぐ先に海が待っている。山—都会−海をぎゅっと両側から圧縮した感じで、たいして歩かずとも一日でそのどれをも楽しめる贅沢な街だなと改めて感心しながら、毛虫のことがあるので、今度ハーブ園に来るときは上りもロープウェイにしておこうと妻と盟約を交わす。

夕方近くになって北野方面へ歩く。異人館街では3つくらいの館に入りたかったが、妻がひとつでいいと言うのでパナマ館にだけ入る。中庭のベンチに座っていると、二階の窓際からシャボン玉がえんえんと漂い落ちてくる。自動で飛ばす機械らしく、水車式に輪っかが回転してシャボン液に浸かったところを奥側から送風することでシャボン玉を飛ばす、その繰り返しで、アナログだがよくできている。そのまま中庭で、ストリートオルガンの演奏を聴く。演奏と言ってもレバーを手で回して音を鳴らす、オルゴールの巨大版のような代物。バッハのような白いかつらをかぶったおばさんが出てきて、バッハとビバルディの曲を鳴らした後、体験させてもらえるということでやってみる。滑らかに回すのが意外に難しい。今日はハーバーランドから巨大な豪華客船が出航するのが見られるとバッハおばさんから聞き、そっちのほうまで行ってみることにする。

坂をどんどん降りていって三宮駅前から、商店街を通って元町へ。心斎橋に似ているが道幅が広くて歩きやすい。「靴下屋」という靴下屋さんがあり、「子どもに人間っていう名前つけるみたいなもんや」などと嬉々として妻に言っていたら、どこにでもあるチェーン店らしく、「知らんの?」と言われ少々恥をかく。グレープフルーツのアロマオイルを軒先で売っている店があり、その匂いが100メートルぐらい先までついてきた。各地でBOOK OFFがあれば立ち寄るのが趣味なので、妻に文句を言われながらもBOOK OFFに寄る。結局何も買わず、店を出るときにまたグレープフルーツの香りがしてなんとなく元町のイメージがグレープフルーツの匂いになってしまった。

夕飯は南京町で小籠包と担々麺。小籠包のタレがなにかしらの花の香りのするもので、正直チェーン店の「台湾小籠包」の小籠包の方がおいしいなということで妻と意見が一致する。店を出てからハーバーランド、外国人の大道芸人を横目に見ながらモザイクへ。Frantzというスイーツの店で、母の日プレゼント用にイチゴをチョコでコーティングしたものやプリンなどを買う。ここでもう疲労がピークに達し、Butterでパンケーキを食べて帰路につく。パナマ館のバッハおばさんが言っていた客船は見えなかった。

也田貴彦