2012年2月20日月曜日

メッセージ・フロム・エノキダケイコ

皆様こんにちは。
榎田です。

『ほをずり』2月号も
1月号に引き続き、
(東京・中野/
ミニコミコーナー)

100000tさん
(京都・寺町二条)

(京都・百万遍/
文芸雑誌コーナー)

に置いてもらっています。
若草色の背表紙を目印に、どうぞお手にとっていただけましたら幸いです。
そしてどうぞご遠慮なく、メールをください。


さて、この2月号では、わたしは「石けん」「タバコ」「幸せって何だっけ」という3つのエッセイを書きました。
この記事の写真は、「石けん」に出てくる石けんです。
拙い文章からだけではなかなか想像しにくいかったろうと察します。こんなのでした。
今回のエッセイのうち、石けんの話とタバコの話は、「乙女の七つ道具シリーズ」だなんて勝手に名づけながら書きました。石けんもタバコも、私のなかではただの物にはおさまらない、言うなればアイテムとして存在感を放ち続けるものです。
そんな思い入れのあるアイテムたちを出発点にペンをとりました。
続くかな、乙女の七つ道具シリーズ。どうぞ見届けてください。
「幸せって何だっけ」は、何でもない手紙です。

先の1月号では、エッセイ3本よりもあとがきの方が好評で、嬉しい半面、エッセイって難しいなと今更ながらに感じました。
自分のなかでは、くず取りネットを繕う話の終わり方なんて上手に書けたなぁと思っていたのですが、誰もそんなとこ褒めてくれなくて笑っちゃいました。
「とりあえず今からくず取りネットの掃除します」
今まであまり話したことがなかったひとから、そんなお手紙をもらってとてもうれしく思いました。
糧にして、精進します。

最後になりましたが、『ほをずり』に興味を持ってくれて、ありがとう。
ひとりひとりにお礼のお手紙書きたいぐらい、とても励まされています。
まだまだ寒い日々が続きますが、どうぞご自愛のうえ、おほをずりください。

それでは。

2012年2月16日木曜日

ウラヌスも嫌いじゃなかった

也田貴彦です。


僕は24歳でして、同世代の方なら共感いただけると思うのですが
子供のころに見たアニメで
闘うことの困難さ・大切さ
仲間の偉大さ
を教えてくれた傑作と言えば…

そう。
セーラームーンです。
有無を言わさず。

今に至るまで貫かれている僕のショートヘア好きは、
セーラーマーキュリーがダントツで好きだったことに起因しています。
それほど僕の人生に影響を与えた作品です。


そのセーラームーンのテーマ曲で、僕の印象に妙に残っているものがあります。
「乙女のポリシー」という曲です。

「ムーンライト伝説」の影に隠れてあまり目立っていませんが、
僕はいまでもたまに口ずさんでしまいます。

なにがそんなに僕の心に響いたのか考えてみたのですが…
「乙女のポリシー」のサビの歌詞を引用します。


こわいものなんかないよね
ときめくほうがいいよね
大きな夢があるよね
だからピッと凛々しく


ポイントは語尾だと思うのです。
「よね」という。

これが仮に


こわいものなんかないよ
ときめくほうがいいんだ
大きな夢があるのさ
だからピッと凛々しく


だと、「そうですか」となり、陳腐なポップスになってしまいます。


「こわいものなんかない」「ときめくほうがいい」「大きな夢がある」というのは
立派で主観的な意見の表明なのですが、
そこに「よね」という付加疑問がくっつくことで、
偉そうに言ってるけど実は自信を持ち切れておらず
同志へ依存してしまう可愛らしさ・人間味が、
顔を覗かせるのです。


そういう意味で、
ほんの少し体重を預けられる同志がいるというのは幸せなことです。
自分の手元にも届いた「ほをずり2月号」を読んで、ふとそんな事を思いました。

才能あふれる同志たちと
「こわいものなんかないよね」「大きな夢があるよね」と檄を飛ばしあいながら、
ピッと凛々しく執筆に励んでまいりますので、応援よろしくお願いします。

2012年2月10日金曜日

2月号!!

おまたせいたしました!
ついにさっき、2月号が刷り上がってきました。
写真ではわかりにくいですが、若草色の春めいた(先取り!)表紙になっております!


ラインナップはこちら! 


詩篇  跳ねる/窓/うごかない時間   松山行

小説  顔(一)            網谷壮介

小説  ファミリー・コンダクター    也田貴彦

創作  三つの処女作における勃起群/勃起短歌  BJ番匠

エッセイ  石けん/タバコ/幸せって何だっけ   榎田恵子

あとがき  松山行  

2012年2月8日水曜日

フレデリック

ハイホー!
網谷です。
明日(というか厳密には今日、あと8時間後)に修士論文の口頭試問を控えて緊張のあまり寝付けないので、ブログを書いてみることにしました。

上の写真は、僕が大好きなレオ=レオニという絵本作家の『フレデリック』という作品と、united arrows green labelで売られているフレデリック!
フレデリックは「ちょっと変わったねずみ」なのです。
絵本は、ねずみたちが冬ごもりのためにせっせと食料を集めているところから始まります。だけど、フレデリックだけはみんなが働いている中で、一人ぼんやり空想にふけっています。
「フレデリック何をしてるの?」とみんながたずねても「寒くてくらい冬の日のために、僕はおひさまの光を集めてるんだ」とか「色を集めているのさ。冬は灰色だからね」とか「僕は言葉を集めてるんだ」などと答えます。
さて、いよいよ冬ごもりにはいり、巣の中でこごえそうになりながらみんなは小さくなっています。最初あった食べ物もだんだんなくなっていき、みんなが元気をなくしていきます。活発だったおしゃべりも、しだいに途切れていきます。そのときみんなは思い出します。「フレデリック、君が集めたものは一体どうなったんだい?」
そこでフレデリックは言うのです。「目をつむってごらん」
そして今まで自分が見てきた色や、言葉を伝えるのです。そうすると、みんなの頭の中には暖かかった日々のことがありありと思い浮かんできて、幸せな気持ちになるのです。フレデリックが集めた言葉は、詩のように野ねずみたちと四季のうつろいを歌いかけます。みんなは、冬ごもりの退屈も忘れて拍手喝采。フレデリックを褒め称えます。
「驚いたなあ、フレデリック。君って、詩人じゃないか!」
フレデリックは紅くなってお辞儀をします。そして、恥ずかしそうに言いました。
「そういうわけさ」

それだけの話しなんですが、僕はこのおはなしにすごく魅了されます。なによりレオ=レオニの切り絵が愛らしい。そして、この絵本が、例えば「アリとキリギリス」のような教訓話にならなくて、「詩人」フレデリックを豊かに優しく伝えるところ。

僕らの『ほをずり』も、フレデリックのようであれたら、と思います。

2012年2月6日月曜日

100000tさんと京大生協さん

まだまだ気温は低くともすれば雪まで降るような気候なのに、洋服屋さんの店先にはもう春物がNEW ARRIVALしていて戸惑いますね。
20122月号から寄稿している松山行です。
今日はしとしと雨に濡れる京都の街を巡って、お店にほをずりを置いてもらってきました。

100000t さん
10万トン」さんです。ゼロは5つです。
京都市役所の横にあり、古本や古CDを扱っていらっしゃいます。
ビル横の細い階段を3階まであがって扉を開けると本の森、というようなお店です。
値段は210円なので、気軽に手に取ってみてください。

京都大学ブックセンター“ルネ” さん
京都大学生協の本屋さんです。
こちらも210円(組合員価格189円)で、文芸雑誌コーナーに置いてもらっています。

京都にお住まいの方は、ほをずりへアクセスしやすくなりましたよ!
京都へ旅行する方も、古都を堪能するついでに覗いてみてくださいな。
松山

2012年2月2日木曜日

損はさせないよ~(エノキダ)

こんにちワルシャワペシャワール!
どうも、物書きのエノキダです。

物書きなんて、ちょっと恥ずかしいね!

そういえば大学時代、楽器に詳しい友人に付き添ってもらい、楽器屋さんへエレキベースを買いに行きました。
はじめてのベース。あれこれ悩んで、よし、と買った帰り道。
友人が「これで今日からあんたもベーシストだ!」とわたしの肩を叩いて言ってきました。
とてもうれしく、だけどとても気恥ずかしい気持ちになったことをよく覚えています。

何が言いたいかって、物書きだってベーシストだって言ったもん勝ちってことですよ!
そして、ついでに何かを始めるのに遅すぎるなんてことはないってこと!
(ベースは驚くほどオブジェと化しています!)


さてさて、今日は、
「そうだ、ほをずりブログに交換日記についての記事を書こう! なんか公開交換日記っぽいし」
と思いついてパソコンを立ち上げたのですが、
「あ、交換日記エピソードはかなり微笑ましいから、エッセイのネタに取っておこーっと」
と思ってしまったので、今困っています。
さて。
こういうことがたまにあります。
わたしのエッセイは実体験ありきなので、
「この話、この気持ち、どこで発表しようかしら。
自分のブログかな、twitterにしようかな、エッセイにしようかな」
と迷ってしまうのです(也田くんのような創作の場合はまた少し違ってくるのでしょうけれども。そうでもない?)。

どれだって、読んでくれるひとは、不特定多数という体ですが、蓋を開けてみれば特定の身内プラスアルファでしょう。
でも、この不特定多数という「体」が大事ですね。
誰が読んでも、完結してみえるように!
それなりに筋を通して、リズムに気を遣う余裕があるならそれもよし、という緊張感。
(そういえば網谷くんは、一時期「普遍性」と「内輪ノリ」についてよく話してくれました。内輪ノリが楽しいのは当たり前じゃ、みたいなの。一方で「身内もノセられない奴には何にもできないよ」って言う先輩がいて、わたしの身は宙ぶらりんです。)

大きく分けてしまえば、わたしが書くものは手紙かエッセイか日記になるのだろうな、と思います。
twitterには140字という制限から、エッセイの卵になるかもしれない発見をつづります。
自分のブログは日記とエッセイの間です。
このブログは手紙とエッセイの間です。
1月号の「あとがき」も、手紙とエッセイの間かな。

さてさて、また落とし所のよくわからない文章を書いてしまいました。
ですます調で書いてるから、なんとなく丁寧に見えるってだけでしたね。
最後になりましたが、『ほをずり』2月号がもうすぐ出来てくるので、またよかったら読んでください。
1月号はおやすみしていた松山が、詩篇とあとがきを書いています。

わたしたちは期待されて育つので、どうぞ保育園の先生にでもなったつもりで期待していてくださいね。
それでは、バイナラ。
エノキダ